法律

未成熟な人権国家

先日、長期間にわたる拘留の末、無罪判決を得た死刑囚のニュースがあった。今回は、本邦の人権意識の低さについて書いてみたい。

日本は、人権が保障された国だろうか。刑事司法一つとっても、取り調べに弁護人が立ち会うことはできない。これは、何ら明文の根拠がないのであるが、運用上そうなっている。であるから、密室の中でとんでもない取り調べが行われうる。昨今、取り調べの録画録音が公開されるようになり、そのひどさが周知されるところとなった。

一方で、人質司法ということが日本ではよく言われる。捜査機関は被疑者の身柄を安易に拘束し、強引に自白を迫る。問題なのは、こういった捜査機関の横暴に歯止めをかけるはずの裁判所が機能していないことにある。令状主義の名の下、令状により強大な捜査権力に歯止めをかけるはずの令状が、いとも簡単に発行される運用がとられている。

と、具体例を挙げるときりがないが、先進国と言われる中で、なぜ日本だけがこのような未成熟な人権国家に甘んじているのであろうか。筆者は、人権獲得の歴史的背景が強く影響していると考えている。すなわち、フランスなどは、中世、絶対王政の国家体制の下、国民自ら立ち上がり、国家権力と闘い、国王を処刑して人権を勝ち取ってきた歴史がある。米国にしても、独立戦争でイギリスから自らの国民の人権を勝ち取ってきた歴史がある。

一方で、日本では、総じて、「お上」から降ってきた経緯がある。明治維新以降は、政府は近代的な国家を作るべく、憲法を整備し、人権らしきものを国民に与えた。第二次大戦後は、憲法は米国主導で策定され、戦勝国から与えられた側面が強い。国民自らが必要だとして、闘い人権を勝ち取ってきた欧米のような歴史はない。

であるから、国民の人権意識はどことなくぼんやりしている。経済的繁栄の下に国民はこれまでそれなりに満足してきたのだろう。最近は、その経済的繁栄にも陰りが見え始めているが。

このように、国民の人権意識とその国の歴史には密接な関連があると筆者は考えている。本邦が、人権面で真に成熟した国家になる日がくるのかは筆者自身もよく分からない。