法律

法務を学ぼう

社会人となって一通り仕事を覚えたら、法務を学ぶとよい。法務を学ぶ意義は多々あるが、主に以下のようなメリットがある。

1.正しいことを正しいと主張し続けられる。

2.社会的トラブルに巻き込まれたときに、法的措置の選択肢を持つことで円滑にトラブルを解決することができる。

3.論理的な考え方が身につく。

4.他分野を学ぶ前提となる素養が身につく。

5.学んでいて純粋に楽しい。

以下、それぞれについて書いてみたい。

1.正しいことを正しいと主張し続けられる。

社会人となって、一通り仕事を覚えたころになると、社会に理不尽なことが多いことを実感する。ここは人生の大きな分岐点である。ここで道を間違ってはいけない。

正しいものはどこまでいっても正しい。この立場を維持することは、長い人生の中で大きな意義がある。それは、自身の利益を守るだけでなく、社会にとっても大きな意義がある。

実際の社会では、違法なものが違法と評価されず、放置されていることが多々ある。しかし、違法なものはどこまでいっても違法である。逆に、法的に見て、正しいものはどこまでいっても正しい。

私は、法を知らないがゆえに、正しいことを正しいと主張せず、人生を台無しにしてきた人を多くみてきた。確かに、正しいことを正しいと主張すると、短期的には周囲との摩擦などから不利益を被ったかに感じることはある。しかし、長期的に見れば、このような摩擦を恐れず、正しいものは正しいと言い続けた人の主張が最終的には通る。そして、私が知る限り、そのような人の未来は常に明るく、その人生は輝き続けている。

法は社会のルールである。そもそもそれを知らずに社会で生きようということにだいぶ無理がある。例えれば、交通ルールを知らずに公道で車を運転するようなものである。正しい交通ルールを知り、それに従って運転し続けた人が長く運転を続けられる。すなわち、法を守って生活している人が、幸福な人生を歩むことができる。

2.社会的トラブルに巻き込まれたときに、法的措置の選択肢を持つことで円滑にトラブルを解決することができる。

これは日々の生活においては大きなメリットだろう。私も法務を学ぶ前は、理不尽な要求などでストレスを感じることが多かった。

しかし、法務を学ぶことにより、その事件が法的手続きにのせられた時に、どういう主張になって、結論がどうなるのか、証拠として何が必要かなど、法的措置をとった場合のおよその道筋がある程度みえるようになった。

我が国は法治国家であるが、義務教育等で法務を学ぶ機会が少ない。加えて、最近は弁護士も増えてきたが、欧米のように弁護士に相談しようとする人もそれほど多くない。

私が法務を学ぶきっかけになったのは、不動産業者が敷金を返してくれずに困っていた時のことである。転勤が多く、仕事が忙しかった時のことだ。不動産業者が借りていた賃貸アパートの敷金を返還しないと主張し、何をどうしていいのかさっばり分からなかったので、最寄りの市役所に相談に行った。その時に、市役所の中で、週1回弁護士の無料法律相談があり、そちらでの相談を勧められた。

早速相談したところ、担当弁護士の見解は、私が敷金の返還の権利を持っており、裁判所における法的措置がよいだろうというものであった。これを実行することにより、それまで強硬に敷金を返さないと主張していた不動産業者の担当者が、真っ青な顔をして裁判所に来ることとなった。結果として、あっさり敷金の返還を受けることができ、法の持つ力に感動した。

以降、法務を学び、トラブルが起こるたびに、自身で法的にどうなるのかある程度考え、それを書面でざっと整理したうえで弁護士に度々相談するようになった。これにより、法的措置をとることが円滑となり、日常生活でのトラブルにストレスを感じることはほとんどなくなった。

また、並行して、裁判傍聴にも何度も足を運び、実際の裁判になるとどうなるのか、実際に傍聴することができた。裁判傍聴、と言うと、「いくらかかるのか」とか「予約は必要なのか」といった質問をよく受けるが、無料である。予約も要らない。平日に裁判所に行って、入り口のところにその日の事件の一覧の閲覧ができるので、興味が持てそうな事件を選び、傍聴席でその事件の法廷の傍聴するだけである。映画館で映画を観るなどもいいが、実際の事件を臨場感を持って観れるので、有意義である。私の場合は、両親まで誘って裁判傍聴をしたこともある。お勧めは窃盗罪被疑事件などの簡明な刑事事件である。

いずれにしても、法務を学ぶ前の全く法務の素養を持たない頃に比べ、弁護士への法律相談のレベルが格段に上がり、生活の質が飛躍的に向上した。

3.論理的な考え方が身につく。

これは、普段の仕事で大いに役立っている。法務の世界では、AだからB、BだからCというように、論理の飛躍がないような論理構成をする。であるから、普段の仕事で、しっかりと論理構成しておけば、なぜか?と問われても、論理的にしっかりした回答ができる。

また、主張を論理的に書面化することにより、自身の考えを整理することができるとともに、相手を説得する場面でも有意義なコミュニケーションが可能となった。

法律家の特徴的な考え方として、事実と評価を分けて考えるというものがある。裁判所の判決文などは、これがきれいに分けられて書かれている。普段から厳密な意味でこれができている人は少ないと思う。ここまでは事実、ここからはその事実に対する評価、という主張ができるようになると、とてもよい。これができるだけでも格段に社会活動の質が上がる。弁護士など、法律家とのコミュニケーションが円滑になることもいうまでもない。

4.他分野を学ぶ前提となる素養が身につく。

法は、社会の基盤であるから、早めの段階でこれを学んでおくことにより、他の分野の学びが円滑になる。

私は、法務の後に経営学を学び、今は経済学を学んでいるが、法務の理解がとても役に立っている。例えば、そもそも会社とは何か?株式とは何か?ということを法的な面からよく理解していると、他分野において、会社経営や株主の位置づけ、投資の意義など、その後の理解の質も格段に高まる。

社会を理解するうえで、法を学ぶことは避けて通れない道であろう。

5.学んでいて純粋に楽しい。

上述したように、論理的に体系立てられた法体系を学ぶことは、純粋に知的に楽しい。私は、法を学んでいて苦痛だと感じたことがない。いつもわくわくしながら学べるのがいい。

法務の学びの内容は、数学の数式を解いて、回答にたどり着くプロセスによく似ている。数学は絶対的な正解がある「である」論であるのに対し、法は絶対的な正解がない「べき」論であるという違いはある。しかしながら、結論に至るまでの過程は両者よく似ている。数学が得意な人は違和感なく入ってゆけるだろう。

我が国では、大学教育を、文系、理系、というように分けることが多い。法は文系に分類されることが多いが、むしろ理系としたほうがしっくりくる。

じゃあ、どうやって法務を学べばいいの?

司法試験の受験指導校の入門、基礎講座を受講することをお勧めする。こういったところでは、法を全く学んだことのない人でも、一から体系的に法務を理解することができるような講座を用意している。オンラインで自分のペースで学ぶのがいいだろう。やっていて、自身に向いていると思ったら、司法試験まで狙ってもいいが、費用、時間ともにかなりの投資になる。上述したような、生活の質を上げるための素養として学ぶのであれば、司法試験の受験指導校の入門、基礎講座レベルでいいだろう。

もしさらに学びたいということであれば、社会人であれば、法務を実践的に学べる法科大学院という選択肢もある。ただ、法科大学院は司法試験合格を経て、その後法律実務家として働くことを視野に入れているため、費用、時間ともにかなりの投資になる。受験指導校から始めて、学びながら考えればよい。

まずは、司法試験の受験指導校の入門講座の導入部分だけでも覗いてみたらどうだろうか。