法律

奇妙な法曹養成

今回は、本邦の法曹(弁護士、検察官、裁判官)が少ないがゆえに、起こる問題について書いてみたい。例えば、法曹の中では弁護士が相対的に最も数が多いが、本邦の弁護士は社会においてその期待されている役割を果たしているであろうか。

社会において弁護士が直接果たすべき役割は、紛争をかかえる当事者の相談にのり、その紛争解決を果たすべく働くことであるが、本邦の弁護士は実際に国民の期待に応えているであろうか。例えば、喉が痛い、咳が出る、腹痛があるといった場合、多くの国民は医療機関を受診する。では、社会的トラブルが出てきたから、弁護士に相談しよう、と考える国民はどの程度の割合だろうか。筆者の印象では極めて少ない。

筆者は、不眠症の患者さんの診療もしているが、眠れない原因をよく聞いてみると、社会的トラブルが原因になっていることがしばしばある。そのようなケースでは、睡眠剤の処方もさることながら、原因となっている社会的トラブルを取り除くことが肝要である。筆者はそのようなケースでは、弁護士に相談するように患者さんに勧めるのだが、じゃあ弁護士に相談しよう、と考える患者さんはほとんどいない。

結局、医師が患者の社会的な悩み事を聞き、解決できずに困っている。かといって、医師が過剰に介入すると、今度は非弁行為だといって、既存の弁護士から苦情がくる。医師は目の前の患者さんが弁護士だろうが裁判官だろうが、患者さんの健康問題に正面から取り組もうと考えているが、弁護士の中には、知識もないまま医師を訴えて、あわよくばお金を稼ごうと考えている人もいる。

医療の側をみると、現場は、来る必要のない「患者」であふれかえっている。軽い感冒症状であれば、自宅で安静にしていればよいものも、医療機関や消防などにひっきりなしに電話がかかってくる。100%とはいわないが、おそらく、本邦の医療機関は患者さんのニーズをある意味過剰なまでに拾い上げているのだろう。

一方で、弁護士の方はどうだろうか。もちろん、弁護士も、そもそも法律論にのらないトラブルの相談を受けることはあろう。しかし、上述した不眠の逆のケースのようなものはあまり聞かない。すなわち、咳が出たり、腹痛があるからといって、弁護士に相談しようと思う人はまず聞かない。おそらく、問題は、本来弁護士の助けが必要な人に弁護士の助けが行き届いていないことなのであろう。

本邦の医師は現在約34万人いるのに対し、弁護士は4万人程度である。これでも、20年ほど前に弁護士を増やすという政策の下、弁護士も増えはした。しかし、既存の弁護士から以下のような声があがる。すなわち、弁護士の増員により弁護士の質が落ちた。そして、弁護士の質の低下は国民の不幸につながる、だから、弁護士の数を絞るべきだというものである。

最近は、年間1500から2000名の新たな司法試験合格者が出ている。昭和の時代などは、年間500名程度であったから、そういった試験で大変な思いをした既存の弁護士の先生方からみると、最近の弁護士の数は、試験で成績が良くなかった質のよくない弁護士の反映、と見えるのだろう。また、法曹人口を増やすと、濫訴が増え、国民のためにならないという声も弁護士の先生方から聞く。だが、それを言うのなら、医療においても不必要な医療にお金を使って大儲けしている一部の医師はいる。

そもそも、弁護士の質は、司法試験(と司法修習後のいわゆる二回試験)で事前に担保しきれるものなのだろうか。例えば、医師であれば、医師免許を取得し、研修医を終えただけでは能力的にまだまだである。その後、各々の分野の専門医制度があり、各学会が専門医を認定し、かつそれを国民に公開し、患者さんが医師を選べる仕組みづくりがずいぶん前からできている。いってみれば、様々な専門分野で様々なレベルの医師の中から、患者さんが医師を選べる仕組みづくりが不完全ながらもできている。

そして、患者さんが受診する医師を選ぶ際、医師国家試験で何番だったといったことで受診する医師を決めるという話は聞いたことがない。それより、医師としての能力に着目した、いわば事後的な淘汰の仕組みがある。つまり、質のよくない医師の存在を前提として仕組みが作られている。なぜなら、人柄など、試験だけで事前に評価できない要素があまりに多すぎるからである。

一方で、弁護士の方は、各分野の専門と言いながら、それを認証する仕組みもなく、弁護士の数の少なさも相まって、国民目線での弁護士の使い勝手はまことによろしくない。まずは、弁護士の数を医師並みに数を増やし、国民が弁護士を活用しようという意識を持つようにならないと話は始まらないのではないだろうか。

最近は、医学部の人気が過熱して、過剰なまでの難化が進んでいる。一方で、本来法曹養成の役割を果たすはずの法学部や法科大学院の難化は一向に進まない。つまり、法曹の道は、あまりに入り口の敷居を高くし過ぎてしまったがゆえに、優秀な人材が多く集まらないという事態となっている。結果として、本来、法曹として活躍すべき人材も医師に流れてしまっているという面もあると思われる。

加えて、医師を1名養成するには、設備面の費用なども含め、莫大な費用がかかる。一方で、法曹養成には、医師ほどのコストはかからない。その意味でも、法曹人口の増加は国民目線では、デメリットよりメリットのほうが大きいのではないか。もちろん、既存の弁護士の先生方から見ると少人数による既得権を失うという観点からは望ましくないと考えるのも自然とは言える。

と、いろいろ述べてきたが、多くの国民は弁護士を必要と考えていないし、あてにもしていない。いないならいないなりに他の代替手段で紛争を解決しようとしている。一方で、膨張する莫大な医療費に頭をかかえているというのが本邦の実情といったところであろうか。