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感染対策という名の欺瞞

今回は、新型コロナウイルス感染症に対する、いわゆる感染対策が欺瞞なのではないかという点について書いてみたい。

新型コロナウイルス感染症が流行を始めてから久しい。当初は、Stay-at-Homeが叫ばれ、極力家から外に出ないことが求められた。現在でも中国などのように、外出が制限される政策がとられている国もある。

しかしながら、新型コロナウイルス感染症の流行が長引くにつれ、我が国では、いわゆる「感染対策」の名のもとに、社会活動と感染防止のバランスをとるといった奇妙な政策が打ち出されるようになった。結果として、東京の街は新型コロナウイルス感染症流行前さながらの賑わいを見せている。

では、その感染対策とは何か。実際には、マスクの着用、手の消毒、アクリル板の設置などである。この感染対策なるものは有効なのか。筆者は否と考えている。それは、2022年8月のいわゆる第7波の状況を見ても明らかである。119番をダイアルしても電話が繋がらない。繋がっても、救急車到着までかなりの時間がかかる。救急隊が到着しても搬送先が見つからない。仕方がないので、救急隊は何もできずに帰ってしまう。すなわち、我が国の救急医療体制が崩壊するに等しい事態に陥った。特筆すべきは、これは前述のいわゆる感染対策を行った結果だということである。つまり、この感染対策なるものの効果はすでに実証済みなのである。

結果として、多くの人の人生が壊された。上述の筆者の見解には、ワクチンの普及により死亡者数が減ったため以前ほど問題ではないとの反論がある。しかしながら、依然として死者が出ていることに変わりはない。また、死に至らずとも、合併する疾患の治療の機会を逸して、取り返しのつかない不利益を受けた患者の数ははかりしれない。また、新型コロナウイルス感染症そのものによる後遺症も問題となっているが、正確な数字ははなかなか出てこない。このように、こういった患者の数は表には出てこない。その数は国民全体から見れば少ないのかもしれないが、確実に一定割合で存在する。

筆者は、現状を、民主主義の暴力的側面が出ているととらえている。すなわち、多数派の利益、本件で言えば自由に行動したいという利益のために、少数者が取り返しのつかない不利益を被っているという点である。つまり、新型コロナウイルス感染症が依然として流行しているにも関わらず、いわゆる感染対策の名のもとに多数派の横暴を許しているという社会現象である。この状況に危機感を覚えているのは筆者だけだろうか。

現状を短期的に見ても、我が国の新型コロナウイルス感染症患者数は減少から増加に転じ、間もなく第8波の到来の可能性が極めて高いとされている。再び、いわゆる感染対策という欺瞞のもとに、8月のように社会的弱者が取り返しのつかない不利益を受けるかと思うといたたまれない。