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患者様

最近、患者様という呼び名をよく聞くようになった。なぜだろうか。

かつては、お医者様、という言葉をよく聞いた。最近はあまり聞かない。医師は一人前になるまで大変だし、献身的に働いて患者さんのために尽くすことから、社会的に尊敬される存在という考えのもと、こう呼ばれたのだろう。

では、患者が社会的により尊敬される存在となったから、患者様と呼ばれるようになったのだろうか。答えは否である。

昨今、患者の権利がしばしば叫ばれるようになった。インフォームドコンセント、自己決定権、みな大切なものばかりである。しかし、患者は自身の持つ権利を適切に行使しているであろうか。答えは必ずしもそうとは言えない。医師の場合と異なり、我が国では国民皆保険のもと、基本的にはすべての患者が平等に扱われる。ということは、日本国民であることがほぼイコール患者と考えてよいことになる。

それでは、日本国人がおしなべて尊敬に値する存在なのだろうか。もちろん、日本人の国民性として、勤勉さ、誠実さなどの特徴はある。しかし、皆が皆そうかというと、そうとはいえない。中には悪いことを考えている者もいるし、現に社会に害悪を及ぼしている人も少なくない。このような一部のものにとって、病院などの医療機関は絶好の場所である。健康保健証一枚持って受診すれば、様づけをされて大切に扱ってもらえる特権を持つことができる。

このような医療機関で前述したようなやからがおとなしくしているはずはない。社会的に見ても、科学的にみても、どこからどうみても不合理な主張も患者様の立場ではある程度は聞かざるをえないのが実態である。なかには、脅迫罪、暴行罪、傷害罪などの犯罪にあたる行為を犯しながらも、患者様であるがゆえに黙認されているケースがままみられる。警察も、医療者側が強者、患者は弱者という古典的な固定観念にとらわれているため、医療機関は事実上の無法地帯となっている。

そもそも、医師と患者は対等の立場である。上下をつける関係ではない。一般に、診療契約は準委任契約ととらえられるが、契約上も主従の関係はなく、一方が一方に指揮命令する権限もない。この点が、店やホテルなどとの契約と決定的に異なる。準委任契約のもとでは、たとえ患者の具体的要求に沿わないことも医師は患者に意見してゆかなければならない場面もままある。私見では、このような誤った患者様認識ができたのは、医師法上の応召義務と関連していると考えるが、ここでは深く触れない。

以上の法的位置づけが前提であるが、一部の患者様が、病院内で医師を脅迫して処方させたとか、入院中に看護師に暴力をふるったなどの話は日常茶飯事である。社会秩序を守るべき捜査機関も、このような一部の患者が医療現場を破壊し、社会を破壊している実態を認識していない。

たしかに、医師のなかにもとんでもないやからがいる。ただ、上述したような患者は桁違いに多く、医療現場を苦しめている。一部の医師の不祥事が大きくクローズアップされるのは、メディア受けすることと、警察組織の内部評価制度が原因となっているが、これもここでは触れない。いずれにしても、一部の医師の不祥事が、ますます患者様の形成に寄与している要素はある。

病院などのクリニックは、医学的に助けを必要としている人のためにある。医学的対応の必要のない者が来るところではなく、まして犯罪を犯してよい特別施設ではない。この当たり前のことが、非常識とされる実態のほうが問題である。社会全体で取り組むべき問題ではないだろうか。