今回は、幸せとはなにかについて書いてみたい。我が国に限らず、経済的豊かさや、学歴の高さが、イコール幸せとして無意識的に認知されることが多いがこういったことに再考を加えてみたい。
まず、我が国についていえば、幸せに限らず、他人との比較においてものごとを論ずることが多い。あの家は、高収入で、家が立派だ、高級な外国車を保有している、だから幸せだ、と無意識的に認知しているきらいがある。はたしてそうだろうか。
いわゆる高収入といった場合、その高収入の人は幸せなのだろうか。統計的な高収入の部類に入る人でも、その上をゆく高収入の人がまたいる。日本一高収入になると、今度は海外の人に目がゆく。どこまでいってもこのラットレースは終わらない。このようなラットレースに一度乗ってしまうと、収入を増やさないと逆に不幸を感じるという事態を招くことになる。
子どもの教育でもそうである。より偏差値の高い大学を目指しても、またその上がいる。本邦で最も偏差値の高い大学に入学できても、今度は海外の大学との関係で劣等感を覚えてしまう。だからといって、世界でもっとも難易度が高い大学に入ったから幸せになれるかというと必ずしもそうではない。
海外というのなら、世界を見て、経済的に豊かな国の国民が幸せを感じているかというと、これもそうでもない。経済的に豊かといえなくとも、幸せを感じている人は世界に多くいる。
青い空、川のせせらぎ、緑の豊かさ、澄んだ空気、こういった前近代的とも見えるものに人は幸せを感じるのかもしれない。
加えて、人と人との関係でも幸せを考えてみる必要がある。収入や学歴にこだわりすぎると、常に他の人は競争の対象となる。人と人との触れ合いを通じて幸せを感じることのほうがずっと大切なことなのではないだろうか。
つまるところ、幸せはすぐ身近なところにあるのかもしれない。その人が、ポカポカした心地よい緑のなかを、信頼できる家族と歩いていて幸せを感じるのならそれはその人が幸せなのだろう。収入や学歴は全く関係ないとまでは言わないが、あまり関係ないことなのかもしれない。