ロシアのウクライナ進行以降、我が国の安全保障に関する考え方も変遷しつつある。今回は、筆者の日本の安全保障に関する考えについて書いてみたい。
人類はその長い歴史の中で、戦争を繰り返し続けてきており、現在も世界のいたるところで戦争が起こっている。その意味で、人類は愚かといえるだろう。先の大戦後、我が国は日本国憲法で戦争を放棄することを宣言した。これは画期的なことであり、我が国は高い理想を掲げた国家と言えるだろう。このように、平和が大切だと唱えることは大切である。理想を掲げることなくして理想を実現することはありえないからである。
では、平和が大切だと唱えてさえいれば平和は実現するのであろうか。答えは否であろう。隣国ロシアのウクライナ侵略を見てもこれは明らかである。国際社会の助けも大きくは期待できない。そもそも、自国の防衛を他国に依存していること自体が危うい。このように、平和が大切だと唱えていれば平和が実現するというのは幻想にすぎないことが分かる。
では、全く逆の見解として、日本も憲法を改正して軍隊を持ち、自主防衛するという見解に立ち、日本もいわゆる普通の国になればよいのであろうか。今だに、国民の中には、先の大戦で我が国がとった方針に疑念を持つ人が多い。先の大戦では、敵国との戦闘で亡くなった兵士の数よりも、自国の戦略やリーダーたちがでたらめなことをして亡くなった戦士の数のほうが多い。そのほとんどが餓死である。このようなばかげた戦争をして、なんら総括のないままきているこの国が再び武装して自主防衛すると聞いて、嫌悪感を示す国民は少なくないだろう。
筆者は上記2つの立場のどちらも理解できる。すなわち、ひたすら平和を唱え続け平和を実現できるならそれに越したことはない。また逆に、自主防衛により真の意味で独立した国家を目指すべきという考え方も理解できる。ただ、これらはどちらも現実的でないことが分かる。おそらくは、上記2極とも言える2つの見解の間のどこかに答えがあるのだろう。