法律

靖国神社参拝はけしからん、の意味するもの

今回は、靖国神社を参拝することはけしからん、とする見解が意味するものを考えてみたい。

靖国神社を参拝することはけしからん、とする理由には、政教分離を理由とするものなど、複数のものがある。今回は、靖国神社がいわゆるA級戦犯を合祀しており、靖国神社を参拝することはいわゆるA級戦犯に参拝することを意味することから、けしからん、という、しばしば主張される見解の意味に限定して考察する。

話は難しくない。問題は、いわゆるA級戦犯とは誰がどのように決めたのかという点である。周知のように、いわゆるA級戦犯とは、第二次世界大戦の戦勝国の判事を中心に構成された裁判所なるものが、開戦決定から終戦に至るまで大日本帝国の指導的立場にあった者に制裁を加えた裁判である。もはや周知のことではあるが、そもそも判事の人選の問題がある。戦勝国の判事を中心に構成された裁判所というもの自体が中立でない。

問題は多いが、とりわけ問題なのは、事後法を適用した点である。近代刑事法の大前提として、行為時に犯罪を構成しなかった行為によって、人は刑事責任を負うことはない。すなわち、事後法で人を裁くことはできないのである。この事後法を適用したいわゆる東京裁判は政治的ショーとしての意義はともかく、少なくとも法を適用して判決を起案する裁判の体をなしていない。筆者が「いわゆる」東京裁判と表現し、これを裁判とは認めていない理由はここにある。結局のところ、いわゆる東京裁判とは、裁判の名に値せず、戦勝国が近代法の大前提を無視して勝手に行ったものにすぎない。

では、これらをふまえ、冒頭の問題提起に戻って、A級戦犯が合祀されているから靖国神社に参拝することはけしからん、という見解の意味するものは何か。それは、第二次世界大戦の戦勝国の決めたことに従わないとはけしからん、と主張しているに等しい。つまり、 第二次世界大戦の戦勝国の決定したことをふまえずに、神社を参拝するのは、けしからん、ということである。けしからん、と主張する見解を聞く際には、このけしからん、の意味するものを理解したうえで聞く必要があろう。